時間は作るもんらしい
僕は大学に6年いた。
6年もいて、一番心に残っている講義はその最後の年に受けた FORTRAN の講義だ。
そこで初めてプログラミングに出会った。24歳くらいの時だった。
モラトリアム期間を満喫していた僕は「これだ!」と思ったんだと思う。
その講義を受けなかったら僕はプログラマになっていない。
FORTRAN の講義なんて受けてるのはプログラミング初心者ばかりだった。
そのくせ、初心者向けにしては結構難解な課題が毎回出た。
その講義を受けるのは主に化学系の3回生で、その3回生というのは実験に次ぐ実験の毎日だ。
化学実験には半日くらい余裕でかかるし、さらにレポート書いて提出しなきゃいけない。
忙しい3回生に、その時点ですら一生使わないと断言できた FORTRAN の課題をこなす時間なんかなかった。
当然課題の提出率はかなり低く、例え提出したとしてもそれは誰かのコピーに過ぎなかった。
そんあある日、その講義の講師が諭すように語った言葉が今でも忘れられない。
現代人にとって、時間が無いのは当たり前のことである。 「時間がない」ということを言い訳にしてはならない。 それは思考停止に他ならない。 時間は作るものである。
もっとすらすら書けると思ってたけど、だいぶ忘れてた。
まあ、上記のようなことを言ったのだ。
当時の僕にとって、時間は浪費するものだった。
その講義を受けてた学生の90%以上は3回生だったが、
6回生の僕にとってプログラミングは格好の時間潰しだったので、
毎回余裕で課題を提出してた。
だから僕は衝撃を受けた。
時間の流れというのは人によって違うんだと。
それは当たり前のことなんだけど。
人より2,3年無駄に過ごすのも時間の作り方なんじゃないか。
屁理屈だけど、そう思った。今そう思った。
「時間は作るもの」の解釈の仕方は日々変わってるけど、
いつも自分の戒めになってる。
鬱になるほど仕事し続けた前職ではいかに無駄な時間を削るかばかり
を考えてた気がする。寝る間を惜しんだりとか。
通勤は自転車で5分だったりとか。
部屋ではベッドから手が届く範囲に必要なもの(マウスとかキーボードとか含む)が全部置かれていたりとか。
今では通勤時間が作られた時間だ。
毎日往復で3時間を移動時間に費やしてる。賃貸のくせに。
でも、今の僕にはその時間がかなり重要。
何せ1日3時間、妄想し放題だ。
あと、ツレアイが寝た後、夜な夜な30分くらいパワプロやってる。
だから、家でコード書く時間がないんだよね。
というわけで明けましておめでとうございます。
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