神に祈った記憶

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僕は基本的に無宗教だ。
ここで言う「無宗教」とは、
初詣で対象もあやふやなまま一方的な願い毎をしたり、
祖父母の家の仏壇にチーンってして頭の中で「こんにちは」って語りかけたりする、
多分、日本人特有の仏教ベースのあれだ。


そんな僕にも、本気で神に祈ったことが何度かある。
前述したが僕は無宗教なので、
ここで言う神とは単に「全知全能の存在」というものだ。
特定の宗教の信仰の対象である神とは全く別のものである。


ちょくちょく神に祈っていたのは高校生の時だ。
神に祈るのは朝の通学時の電車の中でと決まっていた。

別に世界平和を祈っていたわけではない。


僕は田舎に住んでいたので、
電車は1時間に1本しか走っていなかった。

その電車で片道40分かけて、高校に通っていたのだ。

毎日電車に乗っていれば、
電車内で便意を催すことだってある。


途中下車して駅の便所で用を足せば住む話だが、
なんせ田舎なので、無人駅ばかりである。
便所なんかないし、仮にあったとしても
田舎のJRの無人駅の公衆便所というのは
日本の便所カーストの中でも最下層に位置する便所だ。

思春期という人生で一番デリケートな時期に、
そんな所でうんこできるもんか。

しかも、途中下車したら最後、
次の電車まで小一時間何も無い無人駅で過ごすことになる。
もちろん、駅出てもコンビニなんてないよ。


だから、電車内で便意を催しても我慢するしかなかった。
胃腸が弱い方だったので、何度も電車内便意を経験してるうちに、
我慢の仕方の心得はかなり蓄積されていた。
呼吸法とか、波の弱い時の手の抜き方とか。


それでも我慢が限界に達した時、
自分に「今までよくやった」とか言い聞かせ始めた時、
この苦しみから一時的でもいいから開放されてしまいたくなった時、
神に祈ったものだ。

「神様お願いです、○○駅まで我慢させてください」

便意の強い波が来た時には

「もうオナニーしませんから、便意を引かせてください」

って祈ってた。


結果的に、僕は高校時代一度もうんこを漏らしていない。

だから神はいると言いたいのではなくて、
信仰が人を強くするということはあるかもねと言いたいのだ。


これを信仰っていうのはあんまりだが。
あと、ここで言う信仰っていうのは、「祈る対象がある」っていうくらいの意味だ。

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